存在の不安定を「固定」しようとした

2011.11.18

コンクリートの「強さ」についても、その「強さ」の質についても、われわれは注意深く、見きわめなくてはならない。コンクリートは突然にかたまるのである。それまではトロトロとしていた不定形の液体であったものが、ある瞬間、突然に信じられないほどかたく、強い物質へと変身を遂げる。その瞬間から、もう後戻りがきかなくなる。コンクリートの時間というのは、そのような非連続的な時間である。木造建築の時間は、それとは対照的である。

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木造建築には、コンクリートの時間のような「特別なポイント」は存在しない。生活の変化に従って、あるいは部材の劣化に従って、少しずつ手直しし、少しずつ取り加え、少しずつ変化していく。逆な見方をすれば、二〇世紀の人々は、コンクリートのような不連続な時間を求めたのである。そのようにして、不定形なものを固定化することに、情熱を燃やしたのである。たとえば核家族が住まうための家を建てることに、二〇世紀の人々は懸命になった。二〇世紀の経済を下支えしたのは、「持ち家」への願望である。従来の地縁、血縁が崩壊し、近代家族という孤立した単位が、大きな海を漂流しはじめたのが二〇世紀であった。近代家族という不確かで不安定な存在に対して、何らかの確固たる形を与えるために、彼らは住宅ローンで多額の借り入れをしてまで、家を建て、家族を「固定」しようとした。あるいはコンクリート製のマンションというかたい器のなかに収容することによって、存在の不安定を「固定」しようとした。地縁、血縁が崩壊したことで不安定になってしまった自分を、コンクリートというかちかちのもので再びかためたいと願ったのである。同様に、国家も、自治体も、あらゆる共同体が、コンクリートによる固定化で明確な「形」を獲得することによって、その存在の不安定を、解消しようとした。解消したつもりになろうとした。「ハコモノ」とは、そのようにして作られた、かたい建築の別名である。そういう人々の欲求にコンクリートは、最適の素材であるかに見えたのである。しかし実際には、不安定なものほど、うわべの固定化によっては救われない。不安定なものがもっとも必要としているのは柔軟性のはずである。固定化は不安定なものに不自然な足櫛をはめるだけである。あるいは、コンクリートによる固定化は、もはや誰もが必要としていない無用の存在としての共同体に対する、さらなる不必要な出費であった。コンクリートとは消えゆく不安定なもの達の、断末魔の叫び声である。